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先に言っておきますが、宗教の勧めではありません(汗

人は何故生まれてくるのか

私の人生もやく半分が過ぎていき

一日って早いなーって思う今日この頃

多少長く生きていると

自分は何のために生まれてきたのか、何の為に生きているのかと思う時があります。

輪廻転生があるとすれば、私達は何かを学ぶ為に生まれたきたはずだと思うわけです^^

たまたま見たネットでの話しで

私達は生まれる前に空の上から母親を決めて生まれた来たとか書かれていました。

死ぬと精神だけの世界になって修行が終るという話で

この世に生まれてきたという事は、精神の修行をする為に自分が修行(経験)するであろう母親を決めて、みずから飛び込んで生まれてきたという話なんです。

もちろん病気などで早死にする子供っていますけど、それらを分った上で生まれてきたとか

最初はそんなバカなーって思ったんです。

でも

最近になって、辛い事とかがあったりした時に「あ・・・そっかこの辛い事や悲しい事が自分に起きてるって事は、自分にとっての修行なのか」

って思うと

自分を客観的に見られたんですよね

それに極端な話なんですけど

どんな若い人で健康でお金を持ってたとしても

私の体やこの記事を読んでいる人も例外なく

体(物体)はそのうち朽ち果て燃えて亡く(無く)なります

それは明日かもしれない、50年先かもしれない、100年先かもしれないけど

永遠では無いから必ずなくなりますよね?

でも、体とは物体であり無限ではないけど、魂は永遠に生き続けるという話もよく聞きます。

私の家は八月のお盆になると、決まって合同供養際でお墓を綺麗にしに行くんだけど

宗教とか関係なくお坊さんが読まれるお経が、般若心経なんです。

私達はお経とお経の意味を書かれている小本を渡されるんだけど

お経の訳を読んで、この世には精神(魂)の修行の為に生まれてきたという事が、なんとなく頭の中で繋がったので書いてみます。

般若心経の訳

観音様が修行によって真実にたどり着いた、物体や精神には実態がなく空であると悟り、すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた。

舎利子(お釈迦様の弟子)よ、物体は実態の無いものであり、実体がないのば物体である、つまり物体の本質は実態がないという事であり、実態の無いものこそが物体なのだ。

これは、感覚や意識といった精神的なことも同じである。舎利子よ、すべての現象には実体がないのだから、生じることも滅することもない。

汚いとかきれいという事もない。増えたり減ったりする事もない。物体もなく精神や感覚もない、目に映る世界もなければ、意識に映ることも無い。

悟りを妨害するものもなく、悟りを促すものもない、老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。

苦しみの原因もなければ、苦しみを解決する方法もない。

悟れないし悟りもない。何も無いのだから

菩薩様はこうした深い真理によって、すべてにこだわりがない。

こだわりがないから恐怖もない。

すべての誤った妄想からはなれて、究極の静寂の境地となる。過去・現在・未来の仏様もこの深い智慧の完成によって、このうえなく優れた境地となった。

この深い智慧こそが比類なく最上のすべてをあきらかにする真言(真髄)である。

これは偽りなく、本当にすべての苦を除く。

ここに、この深い智慧の真言(真髄)を示そう。

行けるものよ。彼岸に行けるものよ。彼岸とともにいけるものよ。悟りよ幸いあれ。彼岸に渡る智慧の教え。

注)宗派によって読み方が違うそうです。

目の前にある物とは存在しないのか

つまりですね

今この世の物体とか、生まれて生きてきた自分とか本当は、何もかも無くて、死んだ時の自分が本当の自分なんじゃないかと思ったわけです。

そうなると、死ぬまでに何(修行?)をしないといけないのか、何をするべきなのかと深く色々考えながら調べた時に

一つ勉強になった話しがありまして

人生とは感情で生きるものであるという話で

悲しみだったり苦しみだったり、感動したり嬉しかったり

この感情で人生が豊かになっていきます。

簡潔すると感情を豊かにするには、人との繋がりが大切なのだ、という話でした。

自分にとって嫌な奴だったり嫌いな人だったり苦手だなーって思う人だったり

それらは自分に嫌な気持ちという感情を与えてくれている人だと思えたら

もしかしたら

色んな困難も乗り越えられるんじゃないかなって思いました。

まとめ

生まれてきたという意味のあるであろう事を進撃にとらえて、色々考えてみたんで

私なりに出た結論で恐縮ですが

生まれてきた意味とは魂の修行

人生を豊かにするのが感情

という事は

体験や感情をたくさん経験する事で魂が磨かれるのでわ?

それに

死んだ時に持っていける物って経験と感情だけじゃない?

って思ったの

つまり

感情をいっぱい経験して帰る(死ぬ)事が生まれてきた意味であり、修行なのかなって思いました。

嫌だなって思った人だったり、なんとなく嫌いだなって思った人って

なんだか敬遠してしまいますけど(←というか避けてしまう

自分に経験を与えてくれた人、または自分に嫌という気持ちを経験をさせてくれた人

と思ったら、なんとなくだけど

許せてしまいませんか?

それに

嬉しい事ばっかりな人生よりも、嫌な事や気持ちも感じて

豊かな人生を生きる方が、死ぬ時にきっと後悔も無いような気がするんですよね

なんというか

ドラマに例えると

平凡な日常のドラマなんて見てても面白くないでしょう?(笑

アクシデントがあるから、面白い人生(ドラマ)が出来るんじゃないでしょうか

もしも貴方が苛められてたり、虐げられていたりしても

乗り越えた先に面白い展開があるかもしれない

いずれなくなるであろう

この体という物体と目の前にある人生

死ぬ前に楽しかったと思えるような人生にしたいですね^^

ありがとう

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